封切り直後の鑑賞に続いて、レイトショーにて2回目の視聴に行ってきました。
『閃光のハサウェイ』レイトショーにて2回目の鑑賞終了なう。
物語のテンポも良いし、戦闘シーンの迫力と音響が素晴らしいから、もう1回観ても良いな。#閃光のハサウェイ— マキアヴェッリ先生 (@EPYON_FELIX) June 25, 2021
2度目の鑑賞で、私がこだわった鑑賞ポイントは次のとおりです。
リアルさの追求とカメラワークにこだわった映像品質
前回の投稿で書けなかった本作品の醍醐味として、MS(モビルスーツ)による市街戦をパイロット目線ではなく、逃げ惑う市民目線で描いている描写が秀逸です。
劇場の大スクリーンで観ると、自分自身がその世界に居て、MSを見上げながら、飛び交う銃弾や高熱をもったメガ粒子砲の拡散から身を隠し、逃げ惑う体感を味わうことができます。
爆音も映画館の音響で体に直接感じることができ、自分がさながら戦場にいるかのような錯覚を感じます。
MSのマシンガンの薬莢(ドラム缶サイズ)が振って落ちてきたり、メガ粒子砲が飛び散って周囲に火事が発生したりと、細かい描写の一つひとつが「リアル感」を追求しています。
この点は、自宅のTVでBru-Rayを視聴するという手法では味わえないので、是非、映画館の視聴で体験してほしいと思います。
👇映像品質の素晴らしさはこちらのED曲『閃光』のMVでも堪能いただけます。
目的と手段との間で苦悩するハサウェイ
マフティーことハサウェイが目指しているのは、人口増加による地球汚染を防ぐため開始された宇宙移民の徹底。
ハサウェイが活躍する時代は、宇宙移民が開始してから1世紀が経ち、本来であれば、地球環境の改善が進んでいるはずでしたが、その改善が進むどころか、かえって地球連邦政府が認めた特例事項が、いつの間にか一部の人間の特権へと変化し、更には、「地球に住める者」とそうでない人間との間に差別を生むことになるという問題が複雑化する様相を呈しています。
この事態を打開するためには、すべての例外規定を排除して、人類すべてがスペース・コロニーに逼塞するよう仕向けることが必要であるとハサウェイは考えるわけですが、そのためには、人類の意識改革であり、その意識改革を促す方法についてハサウェイは大きな葛藤を抱えることになります。
緩やかな人類の意識改革を待つ(=ニュータイプへの覚醒)という方法もありますが、それでは地球の危機は乗り越えられず、今すぐにでも宇宙移民の完全な履行が必要であり、そのための手段として「テロリズム(テロ行為)」を選択することになります。
目的の正しさの前に、テロリズムという手段が、どこまで正当化され、許容されるのか?
この点について、ハサウェイ自身も完璧な自信があるわけではなく、揺れ動いている心情を窺わせます。
他に手段があるんだったら、その方法で実現したいが、それをいくら考え抜いても見つからないから、テロリズムに走らざるを得ないという苦悩なのですが、逆に、それを選んだ以上は、自らがテロリストとして裁かれることも当然の帰結であると覚悟もしています。
長年にわたり映像化されなかった理由
『閃光のハサウェイ』はファンの間では長年にわたり映像化への要望が高まっていた作品ではありましたが、一方で、ポイントに書いたとおり、①高度な映像技術がないと作品化ができない、②テーマ的にテロリズムの容認という間違ったメッセージが伝わる、という2つの点において、「映像化できない(されない)」と言われてきました。
デジタル技術の進化により、映像技術の問題はクリアーされたし、世界的なテロリズムについても、大規模なものは鳴りを潜めているという現状であり、鬼才・富野由悠季が30年以上前に執筆した原作小説に、ようやく時代が追い付いてきたという感じです。
映画自体は全3部作ということで、現在公開中の映画は、小説全3巻中の上巻部分に該当します。
原作小説の再現度はかなり高いため、物語の先が気になる方は原作小説を先に読むという方法もありますが、結末は、かなり憂鬱な展開になりますし、更には、原作とは異なる結末が用意されているという噂もあります。
映画の次回公開時期も現時点では明らかになっていませんが、本作品のクオリティから次回作品も期待大です!
原作小説3部作はこちらです。