マキアヴェッリ先生の研究室
Openness, Fairness, and Transparency
09 Column(コラム)

プロジェクトマネジャーの説明責任

誰にでも「夢」を見、語る権利はあると思いますし、他者に迷惑を掛けたり、損失を与えない限りは自由な言動が保障されるべきであるというのが、私の立場。

ガイウス・ユリウス・カエサルの名言「何ものにもましてわたしが自分自身に課しているのは、自らの考えに忠実に生きることである。だから、他の人々も、そうあって当然と思っている」を引用するまでもなく、自らの信念に忠実に生きるということは、当然のことながら、一つの生き方の選択肢として尊重されるべきだと考えています。

ただ、この報道に接した時に、大きな違和感を感じました。

違和感の元を辿ってみると、プロジェクトの見通しが厳しい客観的事実が以下のように列挙されているにもかかわらず、プロジェクトマネジャーは早くもプロジェクトの続行を断言していること。

  1. 目標を高さ400メートルに設定していたが、ロケットの上昇は20メートルほどだった
  2. 回収用のパラシュートも開かないまま、数秒で海に落下
  3. 地域振興や人材育成を目的に3年前に始まる
  4. 最終目標は、宇宙空間となる高度100キロへの到達

3年かけて20mしか上昇できなかったロケットが、あとどれくらいの技術や労力、資金などを投入すれば高度100kmに到達できるのか、明確な根拠をもってプロジェクトの成功可能性の見通しを説明すべきだと考えますが、

「やれることはやったと思って打ち上げに臨んだが結果としては不十分だった。設計から製作、打ち上げまでを一とおり経験できたので、まずは推力を引き出せなかった原因を突き止め、2号機に向けた試験に取り組みたい」

という説明では、プロジェクトマネジャーとしての責務を果たしているとは思えません。

自己資金で「道楽」として取り組んでいるのであれば、個人の趣味や嗜好の範囲ということで特段目くじらを立てることもないんでしょうが、国立大学の教授が地域振興や人材育成を掲げてプロジェクトを立ち上げ、多数のマスコミを動員しての試射会を実施したのであれば、公共性・公益性にともなう説明責任が生じていると考えます。

私も、かつて、鹿児島大学の法文学部や農学部の先生方複数名と連携して研究を行うプロジェクト研究に参加した経験もあるのですが、その経験から学んだことは、「大学教員は専門的な知識を持ってはいるが、多数の利害関係者の合意形成を図りながら、プロジェクトを推進するスキルに乏しい」ということ。

当時のプロジェクト研究の成果も、各先生方の専門(得意)領域に関する論文を寄せ集めただけの論文集に成り下がってしまったという失敗の経験もあります。

専門的知識とプロジェクトマネジメントのスキルは似て非なるものものであるため、技術的な検証よりも先に、プロジェクトマネジメント上の課題を先に行う必要があると考えます。

ABOUT ME
マキアヴェッリ先生
フィールドサイエンティスト。 地方自治体、航空会社、デジタル企業とキャリアを重ねながら、地域課題・社会課題の解決につながるプロジェクトのマネジメントを推進中。 #PPP #PFI #価値共創 #地域創生 #カーボンニュートラル #サステナブル経営 #パーパス経営 #EBPM #ソーシャル・イノベーション