鹿児島県知事選挙が近づいてきて、残念な行動に対する様々な報道がなされています。
今回の選挙は、新型コロナウイルスで大きく県内経済が落ち込み、かつ、これまでとは異なる生活様式に対応できる社会・経済構造への転換が求められるという観点から、大胆な決断と断固たる行動ができる「危機時」のリーダーが求められていると言えます。
私が意見交換した範囲だけでも、経営的な危機に立つ事業者や、所得減少に見舞われた家庭に、不規則・不安定な生活を余儀なくされた個人など、不安や不満を抱えた多くの人々に遭遇しました。
こういう時だからこそ、住民の一人ひとりと向かい合って、権力に近い一部の人が恩恵を受けるのではなく、社会的に立場が弱い人々のための政策を実施してほしい。
県民が分断されることなく、「協力と共助」の下、県民が一体感を持てるような政策を実現してほしい。
このような甘っちょろい理想を掲げる私はロマンチストではないかと思いますが、やはり政治とは、まずは高邁な理想やビジョンを掲げてほしいと願います。
大人気漫画の『キングダム』で、秦国の王位を賭けた秦王・政と宰相・呂不韋との権力闘争におけるクライマックスでは、二人の国家観に対する舌戦が展開されます。
「金」を操って、自国中心の経済秩序に組み込むことで、平和の実現を目指すというのが呂不韋の構想。
しかし、その構想の根底にあるのは、人間は凶暴かつ醜悪で、愚かな生き物である、というあきらめであることを見抜いた秦王・政は、人の持つ本質を「光」であると断言します。
よりよい方向へ前進する。
人が闇に落ちるのは己の光の有り様を見失うから。
見つからず、もがき、苦しみ・・・悲劇が生まれる。
その悲劇を増幅させ、人を闇へ落とす最大のものが戦争だ。
光輝かせるのだ。
そうやって人はつながり、そしてその光を次の者が受け継ぎ、さらに力強く。
成蟜も、そして、名もなき者達も、形や立場が違えど皆一様に、自分の中心にある”光”を必死に輝かせて死んでいった。
自分にも二人の娘がいますが、子供たちに対しては、一部の権力者の恣意や金の有無によって政治が回っているのではなく、一人ひとりの人間の思いや願いによって動いているということを教えてあげたい。
さもなければ、子供たちに残せるのが希望と可能性に溢れた鹿児島ではなく、閉鎖性と固陋性にとらわれた鹿児島になってしまうので。
この苦しい「今」を乗り越え、次の世代に託せる地域社会をどのように作っていくのか。
各候補者たちには、自らのビジョンを、その経験と見識をもって語っていただき、有権者一人ひとりの公明正大な判断を仰ぐという、謙虚かつ潔い姿勢を示してほしいです。