マキアヴェッリ先生の研究室
Openness, Fairness, and Transparency
02 Book Review(書評)

コロナの時代の『君主論』③

(前稿「コロナの時代の『君主論』②」からの続き)

今回のコロナ禍による影響については、政治・経済・社会・テクノロジーという4つの側面から分析(いわゆるPEST分析)を行い、クライアントに対しては、そこから導き出される消費者の購買行動の変化に関するインサイトを提供しています。

政治面で見れば、これまで安定した支持率を維持してきた安倍政権と自民党への風当たりが強い(というよりも逆風が吹いている)状態であり、グローバリズムや経済優先といった価値観に対しても、多くの国民が疑問を感じ始めているという状況です。

新型コロナウイルスで生じた変化に関するPEST分析(政治面)

  • 社会の結束が強まり、弱者を救済するための社会圧力の高まり
  • プライバシーよりも、共同体の利益を守るための社会的統制に対する一定理解
  • グローバリズムへの楽観主義に対する軌道修正
  • 感染症対策がニューノーマル(新常態)となり、流行抑制のためのリーダーシップ(一人ひとりの行動制限のためのコミュニケーション)が重要
  • 感染症対策が優先事項となり、相応の予算規模に

 

ただ、こういう状況になっても、自民党に代わる政党への支持や評価が高まらないのは、その受け皿となるべき野党が、十分な存在感を発揮できてない問題もありますし、かつての政権交代の記憶(教訓)が生々しく残っている、という問題もあります。

 

難しさとは、新君主国では、民衆は以前よりよくなると信じて、すすんで為政者を変えたがるものであり、この信念で、武器を手にして為政者に立ち向かってくる。もっとも民衆は思い違いをしているのであって、やがて経験して初めて、従来にもまして悪くなったと学ぶわけだ。(p14.)

 

為政者を選択する権利は民衆が有していますが、その民衆は、根拠なく「為政者が変われば自分たちの生活も良くなる」と考え、為政者を交代させること自体を目的化しがちです。

そして、歴史を振り返れば、このような時に、根も葉もない噂を流し、民衆の理性ではなく感情に働き掛けて、「兎にも角にも政権交代!」を煽る煽動者(アジテーター)が現れます。

このようなアジテーターに煽られて新しいリーダーを擁することになった国や地域では、新リーダーが喧伝されていた程の実力や魅力がないことに、遅まきながら気付いて、生活が良くなるどころか、むしろ、悪化していくことを座視するしかなくなります

また、このことに対して、リーダーはどのような責任を負うべきかについて、マキアヴェッリは、君主の立場から次のように説いています。

 

しかし、人間は邪悪なもので、あなたへの約束を忠実に守るものでもないから、あなたのほうも、他人に信義を守る必要はない。それに、約束の不履行について、もっともらしく言いつくろう口実など、その気になれば君主はいつでも探せる。(p103.)

 

「自分たち(民衆)が誠実に行動すれば、リーダーも誠実に公約を果たしてくれる」ことは誰も保証してくれるわけではなく、それは、ある意味、民衆側が勝手に作りだした妄想に過ぎないわけです。

だからこそ、(ビジネスの世界でも同様なのですが)お互いが信義に基づいて契約を履行する関係を構築するためには、相手がどういう人物なのかを見抜くための「目利き」が重要です。

自らの国や地域の浮沈がかかったリーダーを選ぶのであれば、有権者が、一時的な感情や根も葉もない噂で判断するのではなく、当該人物のプロフィールや実績、直接的な利害関係のない第三者の評価などを十分に吟味し、後は、話す内容や立ち居振る舞いなど、自らの五感を駆使した人物評価を行うべきかと。

リーダー選択の失敗は、共同体の運命に大きな影響を及ぼすため、「後悔先に立たず」という言葉で総括できるほど、軽い事態ではないと考えます。

共同体の危機時に、リーダーが下した判断ミスで、消滅した多くの国家や都市が存在したことは歴史が証明しています。

これから苦難の時期を迎えるからこそ、『君主論』は「リーダーの選択を誤るな!」と警鐘を鳴らしているように思いました。

 

レビュー評価:

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マキアヴェッリ先生
フィールドサイエンティスト。 地方自治体、航空会社、デジタル企業とキャリアを重ねながら、地域課題・社会課題の解決につながるプロジェクトのマネジメントを推進中。 #PPP #PFI #価値共創 #地域創生 #カーボンニュートラル #サステナブル経営 #パーパス経営 #EBPM #ソーシャル・イノベーション