(前稿「魂の救済から空白へ」からの続き)
原因不明の体調不良
2010年7月に井上先生は極度の体調不良を訴え、『バガボンド』本格的な休載期間に突入します。
体調不良の原因は不明で、めまい、頭痛、そして目の変調に襲われるというもの。
仕事をしなければ症状も発生せず、「痛いし、集中できない。仕事が悪いのか、仕事をしたくないのが悪いのか・・・」と思い悩む日々。
自分がいったいどこに向かっているのかわからなくなっていた。そもそも出発点は何だったのかと思い悩んだりもしました。何を出発点にして描き始めたのか、わからなくなっていたんでしょうね。出発点や理由に還っていく余裕が全くなくなっていたんだと思います。理由を探そうという意識すら忘れていた。(2010年12月:『空白』p.41)
描ききった武蔵の最期
井上先生は目標(ゴール)を見失っていたのか?
『最後のマンガ展』において武蔵の最期を、明確にイメージし、描ききったのだから、目標を見失っていたとは、私は考えていません。
武蔵はどういう「死」を迎えたのか。今回のマンガ展では、その解答を出さなければならない。人を斬ってきた武蔵の業の深さ、負った傷を数えてみる。彼の魂に刻まれた痛みを、自分自身に戻してみる。彼は「生ききった」と言えるだろうか。僕は武蔵が「生ききった」と感じるのを、死ぬまでにどうしても、間に合わせてやりたい。
どうか、この死が武蔵への救済となるように。「バガボンド」への物語へ救いをもたらすものであるように。人がひとをゆるし、肯定し、愛おしむ気持ちを生みだす物語となるように。
「死」を描きながら、僕はそれを願う。(2008年『いのうえの:三日月編』pp30-31.)
2008年7月5日、上野の森美術館前の大行列に並んでいました。
展示会終了まで残り3日であったため、朝7時に美術館を訪れましたが、既に大行列ができていました。
最前列は前日の夜から並んでいるという話や、明治大学の日本美術専攻のグループがによる「墨絵を描かせたら井上雄彦が日本一」という講義談話が聞こえてきました。
大行列に並んでいるだけで、否応なく高まる期待感。
紙面という制約された空間ではなく、美術館という広大なスペースに、制約から解放されて、自由に描くことを許された、武蔵のラスト・エピソードを「マンガ」として読む。
作品総数143作品の中に落とし込まれていくマンガのコマたち。
武蔵が自らの人生を振り返りながら、「強くなりたい」「まだ何か欲しいのか」という問いに対する答えを見出していきます。
そして、このコマに辿り着いた時、私の目からは泪が溢れていました。
この瞬間、確かに武蔵の魂は救われ、彼の人生は、何らかの形で人に道を示すことができたのだと確信したからです。
にもかかわらず、『バガボンド』は結末に向けて一気に加速するのではなく、前述のとおり休載を余儀なくされます。
その理由について、私自身はそれまで武蔵だけに全てを向けられていた技術・精神・魂が、より広範な、生活や人間、自然といった平凡で、ありふれているのだけど、貴くて価値があるものへと、対象を移していく過程にあったのではないかと、私自身は考えています。
『バガボンド』から離れて、ありふれた日常生活を送ろうとする井上先生の目に映った日常とは次のようなものでした。
英語で「struggle(もがき、奮闘、葛藤、苦心)」という言葉がありますね。誰もがストラグルするのが人生であり、そういう苦労や葛藤のすべてをひっくるめての美しさというか・・・。
美しさというのは言い過ぎな気もしますが、でも、愛おしい、微笑ましい、そんな手触りでパレードの風景を眺めている自分に気がついたんです。変に斜めな視線はなしに、すべてを見ている自分がいた、とでもいうのかな。
そこには良いも悪いもないんですよね。夢中な子供たち、楽しそうな大人たち、一生懸命もてなしているスタッフの人たち、そのすべてが正しいじゃないかな、というような気持ち。(2010年12月:『空白』p.59)
新たな「創造」と向き合う:親鸞の屏風絵とガウディの人生
休載期間中、井上先生は『バガボンド』から離れています。
しかし、漫画家・井上雄彦としての活動は止めていません。
バガボンド休載期間中に取り組んだプロジェクトのひとつに、東本願寺から依頼された、「激動の生涯を送った親鸞聖人の生き様」をテーマとした屏風絵(「宗祖親鸞聖人七百五十回忌御遠忌」記念事業)を描くというものがあります。
東本願寺さんもやはりマンガ家の井上雄彦の何かを見て、何かを感じて、それで依頼してくれたと思うので、僕としては格好つけない、もっともらしく見えるものに仕立てようということではない、恐れから生じるであろうそういう欺瞞に満ちた気持ちを如何に振り払って描けるか、ということだったんですね。素っ裸になって、「自分の描く絵、世界は、こういうものである」というものを怖がらずにそこに出せるか。それこそが一番自分がやらなくてはいけないことなのだろうと思っていました。それを自分と闘いながらやり直したということでしたね。(2011年4月:『空白』pp85-86.)
そして、サグラダ・ファミリアをはじめとするガウディの作品に触れることで、何かを創造していくことの喜びや楽しみに加えて、人間と自然との関係性を強く意識するようになっていきます。
人間だけが、生まれたまま、存在を受けたままでの姿では飽き足らず、自分の都合に合わせて手を加えていく。土を覆い、我が身を飾る。
僕が19年ぶりに訪れたこの土地で、本当の意味では初めて、ガウディの作品に触れて感じたのは「謙虚さ」だった。神という言葉を使えるなら、その造りしものはすべて同列、等しく尊い。人間もそのひとつ。ただその人間のつくるものには過ちも多いように見える。その理由は、造りし者としての神の態度を忘れてしまうからか。「神がつくったようにつくる」と言う態度は、不遜ではなく、謙虚さである。この旅で得られたものは、そんな仮設であった。(2011年11月『pepita』p.33)
このように、新たな「創造」との出逢いを果たしていく中で、井上先生の中で、漫画を描くということの原点に徐々に回帰していきます。
先人と対話しながら、徐々に『バガボンド』の連載再開に向けた内圧が高まっている、そんなことを感じさせる時期でもあります。
意識の上では無関係ですね。ただ、無意識のうちに何か出てくるのかもしれません。親鸞もガウディも、『バガボンド』は何ら直結していないと思います。でも結局、全部僕を通して出てくることですから、そういう意味では何らしかの影響はあるのでしょうね。
ひとつ言えるのは、親鸞もガウディも脇道でやれるような仕事としてはやっていないということです。『バガボンド』をやるような感じでの、本道としての仕事であったことは事実です。なんというか・・・「ザブン!」という感じで、全身で飛び込んでいってやるような感じ。だからお互いに何らかの影響はあるんでしょうね。(2011年11月:『空白』p.121)
人間そのものから、自然の一部である人間へ
『空白』を初読した当時にはピンとこなかったインタビュー記事があります。
先述の『pepita』の文章中にも、「土を覆い、我が身を飾る」という言葉があり、「土」に対して関心が高まっていることを感じさせます。
もちろん、この「土」という言葉は、土だけに限定されているわけではなく、広く「自然」という存在を代表して発出した言葉。
『pepita』に続く、『pepita2:承』や『pepita3:再訪』においては、井上先生の自然観はより強く出る傾向がありますが、当時は、ようやく自然に目が向き始めた時期といえます。
土と混ざり合う、土をいじるイメージが僕にはあるんですね。
原作では、その荒れ地は雨がざーっと降ってきて、土をメチャクチャにしてしまって、せっかく耕しても、すぐダメになるという話なんです。「そんなところ耕して何になる」と言われたりする。ままならない自然とどう折り合うのか、そういうところを今の自分なり、世の中なりの—主に自分ですが—題材として合うのではないかと感じました。それで、その部分を『バガボンド』でもやってみたいなと。とはいえ、そんなところをマンガとしてどう面白く描くのかと問われたら、勝算はゼロですけど。(2012年3月:『空白』p168.)
2012年3月15日発売号の『モーニング』で連載再開した直後に行われたインタビューで井上先生は、武蔵の「土いじり」を面白く描く決意をしています。
そして、現在、刊行されている35〜37巻において、人間と自然との対立、紙一重の生と死という、剣によらない闘いを見事に描ききっています。
それは、長い間の葛藤や苦しみを経験した井上先生だからこそ描くことができた、剣の達人ではない、平凡な人間の生きる姿であったように思います。
(次回へ続く)
レビュー評価:
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