マキアヴェッリ先生言行録
Openness, Fairness, and Transparency
03 Book Review(書評)

魂の救済から空白へ

天才漫画家・井上雄彦が長期連載している宮本武蔵を主人公とした作品『バガボンド』。

休載も多いため、ヤキモキしながらも、読むのを楽しみにしているファンの一人が私です。

現在、既刊は37巻までなのですが、35〜37巻は剣豪・宮本武蔵が田植えをするエピソードが3冊にわたって延々と描かれています。

そこには華々しい斬り合いも、鬼気迫る闘いもありません。

しかし、そこには作者である井上雄彦も含めた「救い」がありました。

 

深淵を覗くもの

宮本武蔵を主人公にしているため、基本的には剣の斬り合い、そして、命の奪い合いというのが作品の中心になります。

しかし、NHK『プロフェッショナルの流儀』で見られたような、作品の登場人物に精神と魂を注入するような描き方は、井上先生にとって大きな負荷となって、徐々に肉体と精神を蝕んでいったようです。

“Beware that, when fighting monsters, you yourself do not become a monster… for when you gaze long into the abyss. The abyss gazes also into you.”
怪物と戦う者は、その過程で自分自身も怪物になることのないように気をつけなくてはならない。
深淵をのぞく時、深淵もまたこちらをのぞいているからだ。(ニーチェ『善悪の彼岸』)

 

この武蔵の生涯をテーマにして、心の闇を描き続けた井上先生が、武蔵の魂の救済のため、そして、自分自身を侵食しつつあった心の闇を振り払い、一筋の光明を見出すための営みが2008年の初夏に上野で開催され、その後、2年かけて熊本・仙台・大阪と重版を重ねた展示会『最後の漫画展』です。

井上先生が『最後の漫画展』目録の最後に寄せている言葉は次のようなものでした。

 「光」を描くために「影」を描く。

争いや人を斬ることは「影」。それを描かなくては「光」も見えないはずだと思っていました。だけどそこに向かい過程だとしても、たとえば人を斬る絵そのものは、絵ではあるが気づかないうちに人の心を傷つける力があった。読み手にも書き手にも、見えない棘を残しました。神のままのむきだしの魂の持主のような、たとえば幼いこどもに見せたくないなと感じる自分を見つけたとき、そのことを確かだと思えました。

今この時期に、この物語を描くことができて良かった。いや、今この時期でなくてはならず、「全身で感じてもらう空間漫画」でなくては、ほんとうのところは伝わり得なかったのでしょう。

やっと「光」そのものを描く機会を得られたと実感しています。そう思えば、全ては間違いではなかった。向かってきたとおりの形になったのです。たとえ悲しみを描いても、それはもう、行き場のない悲しみではないのです。

 

極度の不調、そして空白へ

このように、『最後の漫画展』によりいったんは魂の救済が図られるかと思っていたのですが、井上先生は『最後の漫画展』を機に極度の体調不良を訴え、『バガボンド』は休載することになります。

井上先生が、休載に至った当時の心境を赤裸々に語った『空白』という本があります。

休載から2年近くが経過したインタビューの中で、井上先生は次のように語っています。

 一方で「一番いい終わりどきを逃したのかな」という気持ちが、ずっと心のどこかにありました。「もっと前に終わるべきだったのかも知れない」「もう『バガボンド』という乗り物は充分乗ったし、行けるところまで行ったんだから、そろそろ別の乗り物に乗り換えよう」—そんなふうにあれこれと考えてしまって、「だったらいったんこれは閉じてしまえばいいじゃないか」と自問自答したりもしました。(『空白』p5.)

 

「誰よりも上手に描きたい」と心身を酷使し続ける井上先生の姿が、「誰よりも強くなりたい」「天下無双でありたい」と無我夢中に闘いの螺旋に身を投じ続ける武蔵の姿と重なって見えることがあります。

この休載期間中の井上先生の心境を理解することが、連載再開後の武蔵の心境と新たな境地を理解することにつながります。

次回は休載期間中に、己の心を見つめ続けた井上先生の心境にアプローチしてみようと思います。

(次回へ続く)

 

レビュー評価:

 

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マキアヴェッリ先生
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