マキアヴェッリ先生言行録
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03 Book Review(書評)

高坂正堯[1981]『文明が衰亡するとき』:通商国家ヴェネツィアの場合

(前稿「『文明が衰亡するとき』:巨大帝国ローマの場合」からの続き)

最小面積最小人口の人工国家による通商政策

都市国家ヴェネツィアは、異民族の侵入に追われた民族が、干潟の上に人工島を作って形成した国家です。

人工島に住む人口は最盛期でも10万人を超す程度であったと言われていますが、この小人工島国は巧みな国家運営により、近代絵画や商業演劇、複式簿記に活版印刷術の商業化など、文明の発達に資する様々なツールや装置を生み出す程の繁栄を築きました。

その発展要因としては、建国当初から通商国家として、他国の追随を許さない造船技術や、地理的条件を活かし、先進地域ビザンチン帝国と後進地域である西ヨーロッパとの中間貿易(東方貿易)を発展させることで、富を築いたことにあります。

そして、有利な通商条件を引き出すために、ビザンチン帝国と神聖ローマ帝国という二大勢力を上手く渡り歩くだけでなく、時には、第四次十字軍のように、キリスト教徒である西ヨーロッパ諸侯連合軍に、同じキリスト教徒である(異教徒のイスラム教徒ではなく)ビザンチン帝国を攻撃させ、一時占領させるという離れ業さえ行ったりします。

ヴェネツィアは各国に置いた大使館をベースに、情報の収集と分析を徹底して行い、その内容を本国へ送信する、いわゆる、インテリジェンス活動の本家でもあり、国力を効率的に運用するためには、正しい情報が重要であることを認識していた国家であるとも言えます。

このような宗教やイデオロギーを抜きにして、国家の利益を中心とした実利主義を追求するヴェネツィアの外交の有り様を、高坂氏は次のように説明します。

巧妙な外交は悪辣な外交とはちがう。契約や条約を破って利得をおさめることは、余りにも明白に大義名文を失うことであるからマイナスが大きすぎる。また、他人に反撃の正当性を与える。だから、巧妙な外交をおこなうものは、契約をやぶったりは滅多にしないものである。

 

政治体制と社会組織能力

ヴェネツィアの政治体制の特徴としては、同時期における他のイタリア都市国家と比較してみると、権力の集中を許さない checks and balances の効いた統治機構を築いていたことが特徴として挙げられます。

ヴェネツィアは人口が少ない国家であるが故に、人的資本を最大限活用することを重視します。

貴族制であっても、商人として航海に場合もあれば、海賊や他国の軍船と遭遇したら、軍人として戦闘にも参加します。

このような経験を経て成熟した成人となった暁には、終身世襲制の国会(元老院)の議員として迎えられることになりますが、貴族だからといって私的特権が認められていたわけではなく、よく働き、慎ましやかに暮らす貴族も多かったようです。

「高貴なる者の義務(ノブレス・オブリージュ)」の精神を通商国家ヴェネツィアに見る想いです。

政治はそれをおこなう人間によって決まる。制度はもちろん大切だが、腐敗する危険が絶対にないという政治制度などできるものではない。秀れたエリートを持てるかどうかは、きわめて大切なことなのである。

ヴェネツィアの政治体制のもうひとつの特徴は、同時代のイタリア都市国家が、君主制か共和制かのいずれかの政治体制を選択する中で、いずれにもよらない、独自の政治体制を構築していたことにあります。

終身世襲制の元老院の存在があるため、一見、共和制のように見られるのですが、国家の命運を左右するような政治・外交上の機密を処理するに当たり、秘密にかつ迅速に対応するため、10人の委員と元首とその補佐官6人による「十人委員会」(CDⅩ)なる国家安全保障会議を有していました。

このような高度な統治機構を有していたヴェネツィアが、地中海の覇権国家となるため、最後まで争ったのが、同じく海洋国家であったジェノヴァ共和国。

冒険的精神に富んでいたジェノヴァ共和国の商人との通商競争で負けなかったのは、やはり国家の津々浦々に至る国力を動員する社会組織能力が高かったからこそでした。

 

緩やかな衰退

長きにわたり繁栄を築いてきたヴェネツィアですが、その繁栄をもたらしていた優位条件に変化が生じます。

ひとつは、通商を必要としない侵略型国家タイプであり、大規模な常備軍を持つ強力な専制君主国家が、ヴェネツィア共和国の東西に誕生しつつあったこと。すなわち、東のオスマン=トルコ帝国と、西のフランス王国の出現です。

もうひとつは、新航路の発見とそれにともなう貿易構造の変化です。

競争優位が競争劣位へと変化したことにより、ヴェネツィアもその変化に対応するためのアクションを起こします。

海運業をより競争的にするため、ガレー船から丸型帆船への切り替えによる輸送費の削減を行ったり、織物業、印刷業、ガラス細工、金属加工などの産業振興に取り組んだり、さらには、内陸部の大規模農耕地開発による食糧増産を推進するなど、逆境からの脱出の努力を積み重ねていきます。

しかし、経営能力に優れた、東インド会社を経営するオランダ人の台頭や、三十年戦争による国土の荒廃や新大陸からの金・銀の大量輸入によるドイツの経済的地位の低下が進むにつれて、ヴェネツィアの競争劣位が、ますます明らかとなります。

 

回復力を失う時=豊かな社会の内なる変化

長きにわたる繁栄の裏側で、ヴェネツィアの興隆を支えていた健全な精神は蝕まれていきます。

例えば、ヴェネツィア海軍の栄光を築いた国営造船所が、主流は丸型帆船への移りつつあったにもかかわらず、ガレー船への固執を捨てきれずに、かつてのような海軍力は持てなくなりました。

また、新産業として育成した毛織物産業も、職人組合(ギルド)による様々な統制により、非効率な体制となり、イギリスやオランダの毛織物産業の後塵を拝するようになりました。

そして、ヴェネツィアを支えたエリートも、「海から陸へ、労働から遊びへ、勤倹から華美な消費へ、企業家から土地からの貢租で生きる利子生活者へ」と変化し、ノブレス・オブリージュは失われていきます。

ヴェネツィア共和国の滅亡前である17世紀に、貴族の男子で適齢期に結婚しない者の比率が60%になったことが、ヴェネツィアの内なる変化を物語る数字ではないでしょうか。

 

ヴェネツィアの歴史に学ぶこと

最小面積最小人口の国家であり、通商国家として繁栄を極めたヴェネツィア共和国の歴史は、世界第3位の経済大国でありながら、今後、大幅な人口減少に見舞われる日本が、如何に変化と向き合うべきかを学ぶ好材料といえます。

全体として、ヴェネツィアは変化を恐れず変化について行く能力の衰えを示すようになった。結局のところ、それがヴェネツィア衰亡の原因であったと言わなくてはならない。というのは、衰亡期のヴェネツィアを訪れたイギリス人アディソンが述べたように、「通商国家はつねに新しい変化に対応する姿勢を持ち、時代が変化したり、危機がおこるときに臨機の措置を講ずることができなくてはならない」からである。

眼前の危機に際しても、宗教やイデオロギーにとらわれない自由な精神で、高潔な決断と敢然とした行動により危機を打破してきたヴェネツィアが、その豊かさが原因で、高貴な精神が失われていく様を見ると、既得権益が如何に人間を堕落させるのかを、まざまざと見せつけられる思いです。

 

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