兵庫県立美術館まで片道1時間半
去る8月に、福岡市美術館で開催されていた「富野由悠季の世界」展を観覧した記事については、以前投稿させていただきました。(→「富野由悠季の世界」展に行ってきました。)
あれから約3ヶ月経過しましたが、所変わって兵庫県立美術館で開催されている「富野由悠季の世界」展を観覧してきました。
関西国際空港周辺で所用があったのですが、それが円滑に終了したため、半日ほどの時間的余裕が生まれました。
喫茶店で読書でもしようかと思いましたが、関西国際空港からは神戸や京都、和歌山などリムジンバスネットワークが充実しているため、この機会に兵庫県立美術館まで足を伸ばそうと、神戸三宮駅までのリムジンバス(片道2000円)に乗って、兵庫県立美術館に行ってみました。
再訪の理由
福岡市美術館で開催された展示会では3時間ほどの時間をかけてゆっくりと観覧した後、展示会の図録も購入して、じっくりと読みました。
そして、読めば読むほど富野監督の「思想」や、その思想を具現化するための「演出」に深い関心を抱きました。
実際に、展示会後には、これまで食わず嫌いで全く観たことがなかった『∀(ターンエー)ガンダム』や『Gのレコンギスタ』も観るようになったし、バンダイチャンネルにサブスクリプションを申し込んで『伝説巨神イデオン』も観ています。
たかがアニメなんですが、80歳にも近い年齢で、いまだに現役として作品を創り続け、このような展示会まで開催してもらえるクリエイターはそう多くはありません。
そんな富野監督に対する興味・関心はもちろんのこと、美術館の施設・設備という箱が変わった時に、富野監督の思想や演出を美術館という空間の中でどのように表現をするのかという、各美術館のアレンジメントにも注目していました。
会場入口に設けられたポスター展示ですが、福岡市美術館ではこのような造作物はなく、入場前から期待感を高まらせる良い装置だと思います。
再訪の視点
今回は2度目の観覧になるので、当然のことながら、前回とは異なった視点で観覧に臨もうと考えていました。
その視点とは図録を事前に十分に読み込んでも、自分の中で十分に消化できてない富野監督の思想(トミノロジー)を、腑に落ちるまで観てみようという気持ちでした。
- 「概念」の展示
「演出」という仕事は、感覚的な仕事であると同時に、たいへん観念的な作業で、「概念(考え方)を示すことが出来る仕事」なのです。つまり、この一行半を展示で説明することはできないのです。(『富野由悠季の世界』p5.)
- 混沌から生まれるもの
人類には、未だ、斗いという遊戯が必要なのだ。知も理もその混沌から生まれる。人類は、今、知と理そのものの鍛えの時代なのだ(『富野由悠季の世界』p82.)
- 「個」に立ち返る
それは、「社会」「権力」「イデオロギー」や「集団」「運動」といったうねりの中で、それぞれの価値観、行動様式に沿って生きていく「個」の集積劇。
個々の営みの重なりから集団、社会が生まれ、価値や権威も定まっていく。だからこそ我々はもう一度、「個」に立ち戻って、自らの思想や態度を問い直して行かなければならない。ゆえに、そこに正しい「答え」などそもそも存在しないのだ。(『富野由悠季の世界』p153.)
結局のところ、富野監督が30年以上も前に制作した作品の中に盛り込まれた問題意識は、時間の経過とともに解消されたどころか、現代においてますます先鋭化されているという気がします。
だからこそ、それぞれの作品では、デザインや絵図には「古さ」を感じても、ストーリーやコンセプトには「斬新さ」を感じることが多く、それこそが富野監督の魅力だと考えます。
まだまだ続くよ、「富野由悠季の世界」展は・・・
福岡市美術館、兵庫県立美術館と観覧した「富野由悠季の世界」展ですが、実は残り4会場が予定されています。(→「富野由悠季の世界」公式HP参照)
島根県、青森県、富山県、静岡県と続くようなので、こうなったら全会場制覇して、「富野監督ストーカー」になろうかと思います(笑)
今後も、富野監督の作品(アニメだけでなく小説や音楽なども含む)を深彫りするにつれて、自分の中での新たな発見や解釈につながると思うので、それを展示会の現場の中で再確認する作業を繰り返しながら、自分の中の新たな感性を磨いていきたいと思います。
レビュー参照:
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レビュー参照:
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