久しぶりに「読んで胸糞悪くなる」(言葉が下品で申し訳ありません)本でした。
インターネット配信によるエベレスト登頂や、SNS及びクラウドファンディングなどの新たなツールを駆使して、多くのファンと資金を獲得するなど、斬新な発想と奇抜な取組で話題となった故人・栗城史多氏の人生を描いた作品です。
この栗城氏を筆者である河野啓氏がどのように見ていたかは作品の冒頭で描かれています。
栗城史多さん。
「夢」という言葉が大好きだった登山家。
「怖ええ」
「ちくしょう」
「つらいよう」
自撮りのカメラにそんな台詞を吐きながら、山を劇場に変えたエンターテイナー。
不況のさなかに億を超える遠征資金を集めるビジネスマンでもあった。
しかし彼がセールスした商品は彼自身だった。その商品には、若干の瑕疵があり、誇大広告を伴い、残酷なまでの賞味期限があった。
一時期、登山に興味・関心があった時期もあったので、「無酸素」による「単独」のエベレスト踏破を目指す栗城氏にも注目していたのですが、彼についてはネット上で様々な毀誉褒貶の声を見たりもしていました。
その事実をもって、作者も「若干の瑕疵があり、誇大広告を伴い、残酷なまでの賞味期限」という表現によって、栗城氏の言動を評価したんだと思います。
しかし、栗城氏が自分自身をセールスするに際して、そのプロモーションに積極的な関与をしたのが、筆者自身であり、その所属していたマスメディアであることを考慮すれば、「瑕疵ある商品を誇大広告して、賞味期限切れとなるまで利用し続けた」という点において、ささやかな共犯関係が成り立つはずです。
その点について、本書では幾許かの反省の念が示されてはいますが、その点はもっと真摯なレビューと自らの過失に対する悔悛の念が必要ではないかと思います。
若さ故に無軌道・無原則となりがちな若者に対して、周囲の大人が諭すどころか、より拍車の掛かる方向に誘導し、それによって自己を見失ってしまったのが栗城氏の人生ではなかったかとも思えます。
素人に毛が生えた程度のレベルの私でも、「登山は本質的に危険であり、気軽なレジャーではなく入念な準備が必要」という認識を持っているのですが、生前の栗城氏の言動には、そういう自然への畏敬や危機意識といったものを感じることができなかったからこそ、彼には共感を覚えるどころか不快感を覚えていました。
その感覚は、本書を読んだ後でも拭い去るどころか、逆に強化された面もありますが、とはいえ、そういう彼を意図的に、あるいは、無意識に利用した大人たちがいたということを本書で知ることができました。
レビュー評価:
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