最近、隙間時間を見つけてはガンプラの製作に没頭しています。
以前であれば、隙間時間さえあれば、読書を選択したのですが、「モノを作る」という行為が、自分の思考と身体とシンクロさせる瞬間があり、その瞬間の楽しさを味わっているのかもしれません。
ガンプラを作るという行為は、完成形(アウトプット)を目指して、数百種類のパーツを組み立てる行為であり、その過程において、リアリティをどこまで追求するのかを模索しながら、塗装やデカール貼りの凝り具合やこだわりを自分自身に問い掛けています。
それは自らが持つ知識やスキルをどこまで形にできるかという、自分自身の身体との対話であるとも言えます。
考えてみれば、プラモデルの価値なんていうものは、我々が財を所有するところの最も基本的な価値である「使用価値」なんて全くありません。
かと言って、ブランド品のバッグのような見せびらかすための目的(顕示的消費)というわけでもありません(もちろん一流のプロモデラーの作品には鑑賞に値するものが多々ありますが)。
ただただ、子どもがブロック遊びや砂遊びに夢中になるように、バラバラのパーツが、ひとつずつ形を為していくことそのものが、「創造の喜び」につながっているように思えます。
神話や宗教の世界では、万物の創造主は神であるとされていますが、創造を通じて想像を楽しむ程度の喜びは、神の創造物たる我々人間にも、おこぼれに預かるくらいの権利が認められているのかもしれません。