マキアヴェッリ先生の研究室
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02 Book Review(書評)

塩野七生[1992]『ローマ人の物語Ⅰ:ローマは一日にして成らず』

塩野七生作品の生態系

『ギリシア人の物語』をもって長編小説の断筆を宣言した塩野七生。

古代ローマにはじまり、中世地中海、ルネサンス、そして古代ギリシアと、様々な歴史を舞台した作品が世に出されています。

私のイタリア好きも塩野作品の影響が大きく、毎年1回行っているイタリア視察のインスピレーションも同作品から得ています。

塩野七生の代表作と言えば、ライフワーク的に取り組んだ全15巻の『ローマ人の物語』なのでしょうが、『ローマ人の物語』を中心に据えてみると、先立って刊行され、『ローマ人の物語』に影響を及ぼした作品群がある一方で、同作品から強い影響を受けて、派生した作品も存在します。

各シリーズを独立した形で読むのではなく、作品間の関係性を踏まえて読んでみると、作品で取り上げられた人物や時代の更なる深い理解が可能となります。

そんな塩野作品の生態系を意識しながら、『ローマ人の物語』の再読をしています。

 

都市国家ローマと共和政

『ローマ人の物語』第1巻は「ローマは一日にして成らず」という副題が付いていますが、『ローマ人の物語』を執筆するに至った動機が冒頭に書かれています。

 知力では、ギリシア人に劣り、体力では、ケルト(ガリア)やゲルマンの人々に劣り、 技術力では、エトルリア人に劣り、経済力では、カルタゴ人に劣るのが、自分たちローマ人であると、少なくない史料が示すように、ローマ人自らが認めていた。

それなのに、なぜローマ人だけが、あれほどの大を成すことができたのか。一大文明圏を築きあげ、それを長期にわたって維持することができたのか。

またそれは、ただ単に広大な地域の領有を意味し、大帝国を築くことができたのも、そしてそれを長期にわたって維持することができたのも、よく言われるように、軍事力によってのみであったのか。

そして、彼らさえも例外にはなりえなかった衰亡も、これまたよく言われるように、覇者の陥りがちな驕りによったのであろうか。

ここに書かれているように、ローマ人は他の民族・国家と比較して、特別に優れた資質や能力を持っていたわけではなかったにもかかわらず、なぜかこれらの民族・国家をいつしか凌駕して、世界史に冠たる帝国を築くに至るわけです。

この”WHY?”を、ローマ人個々の生き様に焦点を当てるという、ミクロ的なアプローチによって解き明かそうとしたのが、『ローマ人の物語』の特徴であるといえます。

第1巻では、都市国家ローマが選択した元老院を中心とした共和政という政治体制について、ギリシア人との比較論を展開しており、後の『ギリシア人の物語』に繋がっていく伏線が用意されています。

 自由と秩序の両立は、人類に与えられた永遠の課題の一つである。自由がないところには発展はないし、秩序のないところでは発展も永続できない。とはいえこの二つは、一方を立てればもう一方が立たなくなるという、二律背反の関係にある。この二つの理念を現実の中で両立させていくのは、それゆえに政治の最も重要な命題となってきた。アテネとスパルタは、いずれもちがうやり方ながら、これに答えを与えたのである。紀元前五世紀半ばの時点でのこの二国の視察は、ローマ人でなくとも有益ではなかったかと、私ならば考える。

 

ローマ人の宗教的バランス感覚

また、ローマ人が世界帝国を築くに至った要因のひとつに宗教におけるバランス感覚に注目しています。

 ローマ人にとっての宗教は、指導原理ではなく支えにすぎなかったから、宗教を信ずることで人間性までが金縛りになることもなかったのである。強力な指導原理をもつことには利点もあるが、自分たちと宗教を共有しない他者は認めないとする、マイナス面も見逃せない。

ディオニッソスによれば、狂信的でないゆえに排他的でもなく閉鎖的でもなかったローマ人の宗教は、異教徒とか異端の概念にも無縁だった。戦争はしたが、宗教戦争はしなかったのである。

一神教と多神教のちがいは、ただ単に、信ずる神の数にあるのではない。他者の神を認めるか認めないか、にある。そして、他者の神も認めるということは、他者の存在を認めるということである。ヌマの時代から数えれば二千七百年は過ぎているのに、いまだにわれわれは一神教的な金縛りから自由になっていない。

(中略)

 人間の行動原則の正し手を、 宗教に求めたユダヤ人。 哲学に求めたギリシア人。 法律に求めたローマ人。この一事だけでも、これら三民族の特質が浮びあがってくるぐらいである。

 塩野七生は、後に『十字軍物語』という、中世におけるキリスト教徒とイスラム教徒間の宗教戦争を書いていますが、狂信的行動に走るキリスト教国家の兵士や民衆の姿と、古代世界に生きるローマ人の姿を比べてみると、「歴史は進歩する」という進歩史観が如何に人間の本質から懸け離れているかを実感させられます。

 

ローマ人の優れた資質

『ローマ人の物語』を執筆させる誘因となった問題意識に対して、塩野七生は、本書の「ひとまずの結び」において、仮置きの説明(仮説)を提示しています。

 知力ではギリシア人に劣り、体力ではケルト(ガリア)やゲルマン人に劣り、技術力ではエトルリア人に劣り、経済力ではカルタゴ人に劣っていたローマ人が、これらの民族に優れていた点は、何よりもまず、彼らのもっていた開放的な性向にあったのではないだろうか。ローマ人の真のアイデンティティを求めるとすれば、それはこの開放性ではなかったか。

(中略)

 古代のローマ人が後世の人々に遺した真の遺産とは、広大な帝国でもなく、二千年経ってもまだ立っている遺跡でもなく、宗教が異なろうと人種や肌の色がちがおうと同化してしまった、彼らの開放性ではなかったか。

それなのにわれわれ現代人は、あれから二千年が経っていながら、宗教的には非寛容であり、統治能力よりも統治理念に拘泥し、他民族や他人種を排斥しつづけるのもやめようとしない。「ローマは遥かなり」といわれるのも、時間的な問題だけではないのである。

開放性こそが繁栄を築き、持続させたとする塩野七生の仮説は、移民問題を巡って民主主義が揺さぶられている欧米諸国の現状を考える上でも、示唆に富んだ指摘であると考えます。

『ローマ人の物語』を読みこなすためには、この「開放性」というキーワードを意識しながら、ローマ人の生き様に注目すべきと考えます。

 

レビュー評価:

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マキアヴェッリ先生
フィールドサイエンティスト。 地方自治体、航空会社、デジタル企業とキャリアを重ねながら、地域課題・社会課題の解決につながるプロジェクトのマネジメントを推進中。 #PPP #PFI #価値共創 #地域創生 #カーボンニュートラル #サステナブル経営 #パーパス経営 #EBPM #ソーシャル・イノベーション