マキアヴェッリ先生の研究室
Openness, Fairness, and Transparency
02 Book Review(書評)

コロナの時代の『君主論』①

新型コロナウイルスの感染流行が拡大するにつれて、気が付くと、Twitterで政府や自治体のリーダーシップについて多くのことを呟いています。

目に見えない新型コロナウイルスを封じ込めるためには、本来、自由であるべき市民の社会生活に対して、様々な規制や制限を強制せざるを得ない(外形上は「要請」というお願いベースですが)という状況にあります。

他方で、個々人がSNSという情報発信ツールを得た現代の高度情報化社会では、政府や自治体の公権力(あるいはマスメディアも含む)に対して、批判や抗議を自由に、かつ、広範に展開することが可能であり、「権力と権利」という2つのパワーの対立が顕著になっています。

現在のコロナ禍で見受けられる市民のストレスや苛立ちも、この「権力と権利」という2つのパワーバランスのせめぎ合いから生じているように思え、両者の衝突を緩和し、対立から協調・協力へ、という切替えをしていかないと、十分なコロナ対策が進まないのではないかと懸念します。

どれほど効果的な施策であろうとも、市民の十分な理解と協力を得ることができなければ、実行に移すことは難しいと思いますし、仮に実行することができたとしても、市民の不平や不満はくすぶり続け、リーダーの永続的な統治を困難にします。

現代の政策に求められていることは、かつての市民に対する「強い情報」の一方的押し付け(マクロマネジメント)ではなく、市民個々人の呟きにも似た「弱い情報」に対するコミュニケーション(マイクロマネジメント)であると認識しています。

このマイクロマネジメントを如何に的確に行うのかという観点からは、やはり君主の統治(ガバナンス)に関して、多くの示唆を与えてくれるニコロ・マキアヴェッリの『君主論』が参考になります。

マキアヴェッリが、『君主論』を執筆した理由は、フィレンツェ共和国を囲む強大な専制国家から、共和国の自由と自治とを守るために必要な君主の力量と統治方法を明らかにすることにありました。

明日をも知れぬ共和国の運命を偶然に委ねるのではなく、市民を統合し、諸外国に対して独立国として延命させるための方策を書き綴っています。

そこに書かれていることは、平時の夢や希望に溢れた内容ではありません。

危機時の、冷徹とも言える、人間の有り様をそのまま見せるかのようなリアリズムです。

だからこそ、このコロナ禍で刻一刻と深刻化していく社会や経済に対する不安や不満を解消するために求められる統治(ガバナンス)を浮き彫りにしてくれると考えています。

カミュの『ペスト』やボッカチオの『デカメロン』を読むのも良いですが、こんな時期だからこそ、あえて『君主論』を読み直したいと思いました。

 

 もともとこの世のことは、運命と神の支配にまかされているのであって、たとえ人間がどんなに思慮を働かせても、この世の進路をなおすことはできない。いや、対策さえも立てようがない。と、こんなことを、昔も今も、多くの人が考えてきたので、わたしもそれを知らないわけではない。この見方によると、なにごとにつけて、汗水たらして苦労するほどのことはなく、宿命のままに、身をまかすのがよいことになる。

とりわけ現代は、人間の思惑のまったくはずれる世相の激動を、日夜、見せつけられているから、この見解はいっそう受け入れやすい。そして、激動に思いをいたせば、ときには、わたしも彼らの意見にかなり傾く。

しかしながら、われわれ人間の自由意志は奪われてはならないもので、かりに運命が人間活動の半分を、思いのままに裁定しえたとしても、少なくともあとの半分か、半分近くは、運命がわれわれの支配にまかせてくれているとみるのが本当だと、わたしは考えている。(pp142-143.)

 

レビュー評価:

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マキアヴェッリ先生
フィールドサイエンティスト。 地方自治体、航空会社、デジタル企業とキャリアを重ねながら、地域課題・社会課題の解決につながるプロジェクトのマネジメントを推進中。 #PPP #PFI #価値共創 #地域創生 #カーボンニュートラル #サステナブル経営 #パーパス経営 #EBPM #ソーシャル・イノベーション