(前稿「空白から再生に向けた胎動」からの続き)
『バガボンド』休載期間中に、井上先生に確実なプラスの影響を与えたのが天才・建築家アントニオ・ガウディの存在です。
ガウディの作品が無数に存在するバルセロナを訪れて、その作品群に触れることで、一人の人間の生き方や生き様から少し距離を置いて、「全体」の中の「個」、あるいは、「自然」の中の「人間」という部分が色濃くフォーカスされるのも、この時期からです。
「テーマ」を執拗に追ってきた苦しさから解放されて、「創造する」ことに対する面白さや喜びを再び見出し、「職人」という存在を意識するようになります。
「この仕事の意味」とかを考える必要はさしあたってないって事だ。
人間の領分を超えて鳥瞰的に自分の価値など規定しようと思わなくていい。
この世の重要な何者かになりたくてそんなことを考えるのだろう。そりゃそうだ。
でもそんな何者かなどない。何者かでない、もない。
どんな仕事の営みも全体の一部で、その一部たる自分を全うすることにおいて違いはない。
全うすることは何も一生費やすこととも限らないし、全体はきっと変わり続けるものだろう。
(『PEPITA』「サクラダファミリアと職人たち」より)
『PEPITA:井上雄彦 meets ガウディ』は、そんな井上先生が、ガウディとの出会いによって、改めて自らの出発点を再確認し、そして、向かうべき目標点を確認する過程に関する記録であると言えます。
2011年に、ガウディの足跡のいくつかを巡り、作品に触れることにより、「創造の種」(pepita)を探した井上先生は、今度は、自分の生まれ育った国で創造の種を見つけようとします。
それが『承:井上雄彦 pepita2』において、焦点が当てられることとなった、日本の伝統行事である式年遷宮です。
更に、2014年に再びスペインを再訪し、ガウディとの再対話を行うことで、”創造”の源泉を見つけ、創造の種を”発芽させようとします。(『再訪:井上雄彦 pepita3』)
井上先生は、かくも「創造」、そして、そこに見出される喜びにこだわりを感じるようになりました。
子供の頃を思えば、すべての人に創造の喜びは与えられている以上、答えは普遍のものだと分かる。自分の住む地にいて、またはふるさとにいて、感じることのできるもののはずだ。あるいは地上のどんな場所、どんな状況にいても。
たいていの人は向上したいと思う。どこかで素敵なここじゃない場所に行き、とっておきの出会いがあって、まだ見ぬ最良の自分がいたーとなったりしないかなと無意識に願ってたりもする。しかし本当に向上しているならそのとき、前に進み自分にとっての未踏の地を踏むと同時に、帰るべき原点をも一層強く踏みしめているに違いない。人は生まれてからの日々をそういう風に生きているはず。
(『PEPITA』「あとがき」より)
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