マキアヴェッリ先生言行録
Openness, Fairness, and Transparency
03 Book Review(書評)

栗田伸子・佐藤育子[2009]『通商国家カルタゴ』

カルタゴに為るなかれ

日米貿易摩擦が激化していた1980〜1990年代、都市国家ローマに滅ぼされた通商国家カルタゴを引き合いに出して、「日本はカルタゴの轍を踏むな」という警鐘が鳴らされていた時期がありました。

高校時代の『世界史』の授業でも、かつてカルタゴという国家があって、経済的に繁栄していたが、発展途上にあったローマから繁栄ぶりを嫉妬されたが故に滅ぼされた、と教わりました。

そして、大学、社会人と年齢を重ねるにつれて、塩野七生『ローマ人の物語』をはじめとした古代ローマ帝国の関連書を通じて、両者の闘争は、単なる通商問題ではなく、地中海を舞台にした覇権戦争であったこと知ります。

しかし、多くの書物がローマ側からの視点に基づくものであり、都市国家ローマが地中海という舞台に躍り出ようとした時には、カルタゴは既に地中海世界の雄として制海権を握っていました。

なぜカルタゴは地中海の制海権を握ることができたのか、そして、どのようなプロセスを経て、そこに至ったのかを明らかにする、本格的なフェニキア・カルタゴ通史が本書です。

 大国に囲まれたフェニキア民族の生き残る知恵

フェニキア人は古代オリエント世界、それも、現代においてイスラエルやシリアといった地域で通商民族として活躍したとされており、紀元前10世紀くらいから、歴史書にその姿を現します。

少数の大国と無数の小国とに分裂し、その興亡が繰り広げられていたオリエント世界でしたが、フェニキア人は地中海随一の船乗りとして、国際交易に活躍します。

紀元前9世紀以降、海上交易と陸上交易との結節点として東地中海沿岸部のフェニキア都市は、当時の世界中の物品の一大集散地として国際商業として栄えます。

そして、単なる中継交易に従事したわけではなく、染色や織物産業や金属加工に、象牙細工に精通した職人縦断を持つとともに、木材の伐採や運搬、建築、造船の分野に至るまで卓越した技術者集団でもあり、モノを運搬するだけでなく、モノを創り出すことできることが、彼らの強みでもありました。

アッシリアやペルシアに代表されるオリエントの大国と小国フェニキア諸都市との関係を見ていくと、小国が大国に完全に吸収されて滅びてしまうのではなく、自らの経済力や技術力を武器に、大国の狭間でしなやかに力強く生き抜いた小国の姿が鮮やかによみがえってくる。彼らの柔軟ではあるが強靱な生き方こそ、現代の国際化社会を生き抜く我々に、多くの指針とヒントを与えてくれるものであろう。(p.87)

 

 紀元前6世紀の危機とカルタゴの飛躍

大国に挟まれた東地中海で、生き馬の目を抜くような外交術・処世術で生き延びていたフェニキア諸都市ですが、オリエントを統一支配していたアッシリアが衰退したことによって、従来の交易ネットワークが不安定化します。

アッシリアから新バビロニア・リディア・メディア・エジプトという4大国に分かれて、割拠状態となり、大国間の抗争が、更なる混乱に拍車をかけ、フェニキア諸都市から多数の亡命者や難民が発生します。

抗争が続く東地中海から脱出し、亡命先として白羽の矢が立ったのが、無傷のフェニキア植民市であるカルタゴであり、フェニキア本土にあった西方フェニキア人の植民市、交易所、港町は衰退し、逆にカルタゴからの植民、「カルタゴ化」が進みます。

本土フェニキアからの亡命者や難民を多く受け入れたことにより、地中海全域に広がっていたフェニキア人植民市の中でもリーダー的地位を築くようになる一方で、それは新たに他民族との覇権をめぐる闘いへと展開していきます。

 こうして前6世紀半ば以降、カルタゴはガデス救援を手始めとして、イベリア半島南部、サルディニア、コルシカ、シチリア西部の確保に乗り出す。そして東方からの難民によって膨張した人口をこれらの地域に築いた自前の植民地へと送り出しつつ、対ギリシア人戦争の前面に立つようになっていったと思われる。前5世紀初頭にその頂点を迎えるカルタゴの海上覇権は、この戦いの延長線上にあった。その意味でカルタゴは単なる商業国家なのではなく、西地中海における軍事化のチャンピオンとも言うべき存在であった。(p.138)

 

地中海交易ルートとギリシア人との争い

カルタゴは、オリエント世界から西地中海や大西洋岸に至る大規模な交易ネットワークを地中海全体に張り巡らせることに成功します。

西地中海や大西洋岸からは金や銀、錫などの鉱物資源を、奴隷を鉱山開発に使役することで確保するとともに、ギリシア各地からは陶器やテコラッタ製の陶器などが輸入されていました。

一方、カルタゴの主力商品はシドン・テュロス等のフェニキア本土製の手工業製品、特に象牙細工やガラス製品、貴金属細工といった工芸品であったとされています。

 このようにフェニキア人の手工業製品の多くは奢侈品であり、それを入手した者の特別な地位と権力を可視化する「威信財」であった。大量生産・大量消費を土台とする近代工業製品の輸出との決定的違いはここにある。近代工業製品が広汎な大衆的消費者をめざして輸出され、それゆえ輸出先の社会の旧来の身分制度を突き崩してゆく傾向を持ったのに対し、古代フェニキア商品は、西地中海各地に形成されつつある王・神官・貴族といった支配層を主な顧客としていた。(p165.)

 

カルタゴを中心とする地中海交易ルート(p160.)

 

しかし、カルタゴによる交易ネットワークの拡大は、同時期に地中海へ進出、植民市を形成していたギリシア人との抗争の激化をもたらします。

主な戦場はイベリア半島とシチリア島であったようですが、紀元前6世紀頃には西地中海の各地でカルタゴが一応の勝利を収める形で制海権を獲得するようです。

これによって、地中海の覇権国家としての道のりを歩み始めたかのようなカルタゴですが、そこに強力なライバルが登場します。

それが都市国家ローマです—。

 

ポエニ戦争への道

伝承によれば紀元前509年にはカルタゴとローマとの間で最初の条約が締結されたとされています。

この条約はサルディニア、アフリカ、シチリア西部をカルタゴの勢力圏として設定し、相手の勢力圏に入った場合の双方の行動についての禁止事項を掲げ、結果として双方の衝突を避けて共存を図る性格のものでした。

とはいえ、当時、新興国であった都市国家ローマの勢力を反映し、カルタゴの勢力圏におけるローマの勢力圏は狭く、そこでのカルタゴの行動規制は簡潔であり、地中海における覇権を背景に、一地方勢力であったローマに対してカルタゴ勢力下にルールを明確にしたものでありました。

このような圧倒的な国力差があったカルタゴとローマですが、ローマがイタリア半島諸都市を支配下に収めて、南イタリアのギリシア植民市分布地域(マグナ・グラエキア地方)にまで勢力を拡大し、シチリア島の目と鼻の先まで勢力圏を拡大すると、カルタゴの海上権益と真正面からぶつかることになります。

カルタゴとローマによる直接対決については、塩野七生『ローマ人の物語』や漫画『アド・アストラ』などで、その詳しい経過が書かれているので、ここでの詳述は省略します。

結果だけを述べれば、都市国家ローマは、通商国家カルタゴを滅ぼすことにより、地中海の権益を奪取し、以後のローマ帝国化に向けた橋頭堡を築いたということです。

 

カルタゴの歴史から学ぶこと

これまでの通説によれば、カルタゴの滅亡は、その国力と繁栄に対するローマの嫉妬による特別な事象と解説されることが多かったのですが、実際には、地中海周辺地域における覇権を確立したローマによって、内政の論理でもって外政(戦争)が濫用される段階で起こった一事象に過ぎないものでした。

例えば、紀元前146年、カルタゴが破壊されるのと同じ頃にアカイア同盟はローマに敗れ、中心的都市コリントスは占領され、革命派に対する見せしめとして徹底的に破壊されました。

この惨状を目の当たりにした歴史家ポリュビオスは、このギリシアの不幸をギリシア史の中でも最悪とみなし、他方、滅亡したカルタゴは抹殺されてしまったがゆえにもはやそれ以上自分たちの不幸を見ないですんだだけましなのだ、と述べています。

ローマ帝国とカルタゴ海上帝国は、その支配権の拡大傾向の方向性が異なるものであったがゆえに、その衝突は必然的であり、時間の問題であったともいえます。

 カルタゴ海上帝国が想定している世界は、政治的にはもっと多極的で、各地の文化的異質性が保たれているような世界だったのではないだろうか。もともと東地中海の先進文明地域と西地中海各地との文明の落差・地域差を前提に成り立っていたフェニキア・ネットワークである。地域差と文化の違いこそが、運んでくる品物に独特のオーラを付与していたのであり、のちのローマ帝国統治下の地中海世界のように上下の階層差はあっても地域差は少ない世界—同質化、「ローマ化」が一挙に進行していく世界—では彼らの商業は窒息したであろう。(p391.)

 

後のカエサルからアウグストゥスへ、すなわち共和政から帝政(元首政)へと移行する前後、カルタゴの地はローマ市その他の入植者数千人を中心とするローマ都市として復活を果たし、属州アフリカの拠点として、目覚ましい発展を遂げます。

しかし、フェニキア都市としてではなく、ローマ都市としての復活でしたから、フェニキアの歴史・伝統・宗教などとの連続性は途絶え、以後の歴史でフェニキア人が表舞台からは姿を消すこととなります。

現代においても、グローバリゼーションの進展により、世界は「フラット化」すると思われていましたが、最近では、異なる動きも顕著に見られるようになってきています。

そんな世界で世界第3位の経済大国である日本が進む道は、地域差と文化の違いを前提とした世界なのか、それとも、均質化した世界なのか。

通商国家カルタゴが歩んだ道は、そんな疑問に対する大きな示唆を含んでいます。

 

レビュー評価:

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マキアヴェッリ先生
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