マキアヴェッリ先生の研究室
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02 Book Review(書評)

瀧本哲史[2011]『僕は君たちに武器を配りたい』

本書の裏にある時代認識

なかなか刺激的なタイトルなのですが、著書である瀧本氏が配りたかった「武器」を理解するためには、彼が持っていた時代認識をまずは理解する必要があります。

 つまり、内需の拡大はもはや限界を迎えており、日本がこのままの経済戦略をとり続ける限り、先行きは暗いということを、経産省ですら認めたということなのだ。

「会社」が存在するには、前提となる「社会」の基盤がきちんと構築されていることが必要だ。しかしこれから数十年の日本は、人類史上でも前例のないレベルでの超高齢化が、地方だけでなく都市部でも進んでいく。年金などの社会保障や、教育や医療などの公的サービスすらも、今の形のままで国民が享受できるかどうか、危うくなりつつある。つまり社会というシステムを支える日本という国そのものが、急速に信用できなくなっているのである。それにトドメをさしたのが、東日本大震災だ。政府のひどい対応ぶりは、今さらここで述べるまでもないだろう。

だからこそ、この国で生きていく我々は、座して「国がどうにかしてくれるだろう」と状況が変化することを待っていてはいけない。それは、かつての旧ソ連の市民と同じ、他人まかせで貧しくなる道だ。

待っていても状況は悪くなる一方なのだ。今後は、個人レベルでビジネスモデルを変える、または新たなビジネスモデルを作り出す、ということに挑戦しなければ、多くのビジネスマンが生き残ることができなくなっていく。

ますますグローバル化する資本主義と、様々な問題が顕在化しつつある日本の国家と社会という時代背景の下では「知識をたくさん頭脳につめこんで専門家になれば、良い会社に入れて良い生活を送ることが可能となり、それで一生が安泰に過ごせる」というストーリーも成立しえなくなっています。

そのような中で、国や他者に依存するのではなく、自分自身の力で人生を切り開けるキャリアを築いていく重要性がますます問われているのが現代という時代です。

 

スペシャリティな生き方

自己本位の人生を歩むために必要な要件として、瀧本氏は「スペシャリティになる」ことを挙げます。

スペシャリティとは、専門性、特殊性、特色などを意味する英単語だが、要するに「ほかの人には代えられない、唯一の人物(とその仕事)」「ほかの物では代替することができない、唯一の物」のことである。概念としてコモディティの正反対といえる。

そして、スペシャリティを考える上で、「資本主義の中で安い値段でこき使われず(コモディティにならず)に、主体的に稼ぐ人間になる」ための6種類の職種を提示します。

  1. トレーダー:商品を遠くに運んで売ることができる人(トレーダー)
  2. エキスパート:自分の専門性を高めて、高いスキルによって仕事をする人(エキスパート)
  3. マーケター:商品に付加価値をつけて、市場に合わせて売ることができる人
  4. イノベーター:まったく新しい仕組みをイノベーションできる人
  5. リーダー:自分が起業家となり、みんなをマネージしてリーダーとして行動する人
  6. インベスター:投資家として市場に参加している人

 

どの職種を選択すべきか

先に挙げた6つの職種の中でも、瀧本氏は、トレーダーとエキスパートは、情報革命が起こった現代においては、かつてのような優位性を維持できずに、今後、苦しい状況になると見込んでいます。

 トレーダーとエキスパート、つまりこれまでのビジネスにおいて重要とされてきた、「営業力」と「専門性」、その2つが実は風前の灯 となっているのである。

何かの分野のエキスパートであることや、モノを動かしてサヤを抜くという仕事は、かつての生産性革命の時代や、国家間での貿易で儲けていた時代にはヒーローでいられた。しかし、今現在の「付加価値を生む差異があっという間に差異 でなくなり、コモディティ化した人材の値段がどんどん安くなっている時代」には、時代遅れの人々にならざるを得ないのである。

Amazonや楽天に代表されるWeb販売網の充実ぶりや、Wikipedeiaに代表される「群衆の知」による情報編集などを見ていると、確かに、営業力や専門性がWebというツールによって換骨奪胎されている現状で、旧来の形のままではなく、新たな付加価値が必要であることは容易に想像されます。

また、残りの4つタイプの職種についても、どれかひとつを追求する「専門バカ」を目指すのではなく、状況に応じて、これら4タイプを使い分けるという高度なスキルが必要とされることを強調しています。

便宜上、人間のタイプを4種類に分類しているが、ここでどれかひとつのタイプを目指せ、という話をしたいわけではない。望ましいのは、一人のビジネスパーソンが状況に応じて、この4つの顔を使い分けることだ。仕事に応じて、時にはマーケターとして振る舞い、ある機会には投資家として活動していく。そのような働き方が、これからのビジネスパーソンには求められることを、念頭に置いて読み進めていただきたい。

 

 

瀧本氏が配りたかった武器

インターネットや本を探したり、資格取得の勉強をしたりして獲得した知識では、これからの武器とはなり得ず、幅広い分野の学問領域を横断的に学ぶことにより、「物事をさまざまな角度から批判的に考える能力」「問題を発見し解決する能力」「多様な人々とコミュニケーションする能力」「深い人格と優れた身体能力」などの力を身につけるリベラルアーツの重要性を指摘します。

最近の日本社会における視野の狭い実用主義・成果主義の蔓延で、リベラルアーツが軽視されがちですが、瀧本氏だけでなく、山口周氏などもリベラルアーツの重要性を指摘していることを鑑みると、リベラルアーツの習得を疎かにしていると、日本の企業や団体はますます世界を動かすビジネスモデルの創出に遅れをとるかもしれません。

社会に出てから本当に意味を持つのは、インターネットにも紙の本にも書いていない、自らが動いて夢中になりながら手に入れた知識だけだ。自分の力でやったことだけが、本物の自分の武器になるのである。資本主義社会を生きていくための武器とは、勉強して手に入れられるものではなく、現実の世界での難しい課題を解決したり、ライバルといった「敵」を倒していくことで、初めて手に入るものなのだ。そういう意味で、ギリシャ神話などの神話や優れた文学が教えることは、人生の教訓を得るうえでも非常に有効だと私は考えている。

瀧本氏が、投資家的に生きるように助言したのは、他者に依存すること自体が大きなリスクを抱える現代においては、自分自身の人生のリスクを見極めて、リターンを最大化するための選択を主体的に行っていくことが、結局は後悔なき人生につながるからと言えます。

彼の生き方から我々が学べることは、時には周囲から「ばかじゃないのか」と思われたとしても、自分が信じるリスクをとりにいくべきだ、ということである。自分自身の人生は、自分以外の誰にも生きることはできない。たとえ自分でリスクをとって失敗したとしても、他人の言いなりになって知らぬ間にリスクを背負わされて生きるよりは、100倍マシな人生だと私は考える。

本書を読んだ上で、どのような生き方を選択するにしても、それは本人が自らリスクを理解して選択をしたということで、これまでの人生とはまた違った見方、見え方をするかもしれません。

 

レビュー評価:

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ABOUT ME
マキアヴェッリ先生
フィールドサイエンティスト。 地方自治体、航空会社、デジタル企業とキャリアを重ねながら、地域課題・社会課題の解決につながるプロジェクトのマネジメントを推進中。 #PPP #PFI #価値共創 #地域創生 #カーボンニュートラル #サステナブル経営 #パーパス経営 #EBPM #ソーシャル・イノベーション