(前稿「コロナの時代の『君主論』①」からの続き)
今回のコロナ禍において、国の方針であったり、それに基づく各地域での対応策を観察して気付いたことは、地域の首長のリーダーシップで大きく対応が異なり、それに対する市民の協力・評価も大きく異なるということ。
Twitterでしばしば呟いたのですが、メディアでも多数取り上げられ、その評価(もはや「男ぶり」)がうなぎ登りになったのが、大阪府の吉村知事。
吉村知事の決断力と行動力は素晴らしい。同年代として見習いたい。 https://t.co/C8uCF8u2SJ
— マキアヴェッリ先生 (@EPYON_FELIX) April 22, 2020
また、吉村知事のようにメディアで大々的に取り上げらなくても、着実な対策で感染者数を最小限に抑えつつ、地域経済への影響を最小化した、鳥取県の平井知事や徳島県の飯泉知事などが、リーダーシップを発揮した知事として名前が挙げられます。
「休業なし」の経験蓄えに 徳島県 飯泉嘉門知事:日本経済新聞 鹿児島県と同じく、感染者5人がいずれも県外から持ち込まれたケースであったため、全国47都道府県で唯一「休業要請」を出さなかった徳島県。代わりに、県外からの流入を徹底的に流入制限し、感染者ゼロ。 https://t.co/f8s7vp9ACJ
— マキアヴェッリ先生 (@EPYON_FELIX) May 11, 2020
元大阪府知事で、毒舌でも知られる橋本徹氏は「今回の件で、知事がポンコツとポンコツじゃないのがはっきりした」などと過激なことも言っているのですが、大事なことは、同様の知事という立場にありながら、行動という部分において異なる結果が生じ、更には、その評価・評判までもがおおきく懸け離れることになった、という事実。
この事実に対して、『君主論』の中に、興味深い示唆を得られる文章があります。
名君は、たんに目先の不和だけでなく、遠い将来の不和についても心をくばるべきであり、あらゆる努力をかたむけて、将来の紛争に備えておくべきだ。気概というものは、遠くから予知していれば、対策を立てやすいが、ただ腕をこまねいて、あなたの眼前に近づくのを待っていては、病膏肓入って、治療が間に合わなくなる。(p20.)
名君に求められる資質として、短期的な視点だけでなく、中長期的なビジョンの重要性を説いているわけですが、そのために必要なものが「気概」である、というわけです。
マキアヴェッリは『君主論』の中で、理想の君主像としてヴァレンティーノ公チェーザレ・ボルジアを取り上げています。
チェーザレは、日本史でいえば、織田信長のような人物で、目的達成のためには善悪の彼我を超えて、非道とされるような行為も冷徹に遂行しましたが、イタリア半島統一の直前で不意の病にかかり、その後は転落人生を歩み、無念の死を迎えた人物です。
マキアヴェッリが、そのチェーザレをモデルとして、指導者に求めた三大要素は、①ヴィルトゥ(力量、才能、器量)、②フォルトゥーナ(運、幸運)、③ネチェシタ(時代の要求に合致すること)でしたが、この「気概」というのは、①のヴィルトゥに含まれるものです。
眼前に広がる困難に対して、正面から向き合い、課題解決に向けて尽力しよう、という気概があったのか否かが、各地域のリーダー間の相違を顕在化したと考えています。
また、その対応策の講じ方についても、その後の結果あるいは評価に大きく影響したと考えています。
まず改革を目指す君主が、はたして自力によったか、それとも第三者をあてにしたかを、調べなければならない。いいかえれば、当事者が事業を遂行するのに、他人にお願いしたか、自分でやったか、である。援助を求めた最初のばあいは、かならず禍いが生まれて、なにひとつ実現できない。逆に、自分の能力を信じ、自力をふるった後のばあいでは、めったに窮地におちいることがない。(p38.)
「国に相談」「国と協議」と主体性がなく、手をこまねいたまま状況を見守るだけだった知事の評価は低い一方で、自らの判断で、果敢に対応策に取り組んだ知事は、往々にして高い評価・評判を得ているようです。
前述の吉村知事などは、現在、「大阪モデル」という政府方針の一歩も、二歩も先に行くような施策に取り組んでいますが、市民の間では反発よりも、協力や賞賛の声が多い、という現象も見られます。
吉村知事の言動を見ていると、①困難に果敢に挑戦する気概を示し(ヴィルトゥ)、②コロナ感染抑制という要求に合致した施策とコミュニケーションを行い(ネチェシタ)、③それを市民の支持に転換できるSNSというツールが発達していた(フォルトゥーナ)、というマキアヴェッリが定義した理想的なリーダー像の条件を果たしたといえます。
吉村知事の評価・評判が、今後も継続するのか否かについては、3条件を持ち続けることができるか次第とは思いますが、マキアヴェッリは「運命の女神」に例えて次のように書いています。(※現代では不適切な表現とは思われますが、古典の性格上、当時の価値観を尊重し、そのまま転載します)
さて、結論をくだすとすれば、運命は変化するものである。人が自己流のやり方にこだわれば、運命と人の行き方が合致するばあいは成功するが、しないばあいは、不幸な目をみる。
わたしが考える見解はこうである。人は慎重であるより、むしろ果断に進むほうがよい。なぜなら、運命は女神だから、彼女を征服しようとすれば、打ちのめし、突きとばす必要がある。運命は、冷静な生き方をする人より、こんな人の言いなりになってくれる。
要するに、運命は女性に似て若者の友である。若者は、思慮を欠いて、あらあらしく、いたって大胆に女を支配するものだ。(p147.)
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