三度訪れた「富野由悠季の世界」展。
3回目の訪問は、新潟市にある新津美術館という、車なしではアクセスしにくい美術館での展示会でした。(過去記事はこちら👉「富野由悠季の世界」展に行ってきました。 👉再訪「富野由悠季の世界」展)
よく飽きもせず、懲りもせずに訪れているとは思いますが、回数を重ねるごとに富野作品を俯瞰的に見ることができるようになり、それに伴って、「ガンダム」という作品を中心に据えるのではなく、ガンダムも他作品と横並びで置いた時に、ガンダムが富野監督にとってどのような位置づけなのかを考えるようになりました。
前回訪問からおよそ2年ぶりの展示物との再対面だったのですが、以前目にしているにもかかわらず、そこに書かれている富野監督のメッセージが、私の中で新たな意味や価値を突きつけてきます。
「人類には、未だ、斗(たたか)いという遊戯が必要なのだ。知も、理も、その混沌から生まれる。人類は、今、知と理そのもの、鍛えの時代なのだ」
「社会」、「権力」、「イデオロギー」や「集団」「運動」といったうねりの中で、それぞれの価値観、行動様式に沿って生きていく「個」の集積劇。個々の営みの重なりから、集団、社会が生まれ、価値や権威も定まっていく。だからこそ我々はもう一度、「個」に立ち戻って、自らの思想や態度を問い直していかねばならない。
富野作品に通底している基調としては①人間の意志(とその可能性)、②コミュニティ(家族、社会、国家)、③地球環境問題、という3つのテーマがあると考えています。
この3つの問題は、ひとつだけを取り上げても、重く、かつ、解決困難なテーマです。
実現可能性の観点からまともにアプローチするとすれば、誰もが手に負えずに逃げ出すことになる思うのですが、富野監督はこれらの難題を、それぞれの作品ごとにある仮説(解決策)を提示することによって、一応の解決アプローチを提示しています。
それは、一見、荒唐無稽なアプローチかもしれないのですが、SF思考であり、富野思想だと私は考えています。
数ある富野作品の中で、私が押さえておくべきと考える富野思想は以下の通りです。
- イデ
- ニュータイプ
- オーラ力
- 黒歴史
- フォトンバッテリー
これらの思想(概念)をひとつひとつ取り上げるのは時間を要するので、別の機会に各テーマごとに紹介していきたいと思います。
幸いに、展示会において、これらの思想(概念)は相当程度に整理された形で展示されていましたし、公式図録にも収録されているので、次回以降は、こちらの公式図録を参考に解説していきます。