前回の投稿記事(2020年行く年来る年②:心を支えた一冊)で書いたように、今年1年間は、コロナ禍という未曾有の事態により、日常生活の面においても、仕事の面においても、非常に不安定な一年過ごしました。
そんな矢先に人生初の「転職」、しかも、「官から民へ」という自分自身にとっても不安を覚える決断を下した後に起きた未曾有の事態への対応であったため、私の人生40年余りですが、人生最大の「危機」であったといえます(「悲壮感」とは無縁ですが)。
では、この1年を振り返った時に、自分は上手く環境変化に適応できたのかと問われれば、
とアウトプットで判断する範囲においては、「上手く適応できた」と結論づけられます。
私が不安だったのは、社員の大部分が中途採用で、誰もが各自のキャリアを積んで、専門性を有していること。
反対に、私はお役所勤めで、ビジネスの経験もなければ、特段の専門性もないという条件で、ある意味、プロフェッショナルの集団に乗り込んだわけですから、自信なんてあるはずがないわけです。
実際、入社直後は、会社特有の3レターコード(アルファベット3文字で会社の部門や機能を省略説明)を理解したり、様々なマーケティングや分析のためのツールの使い方を覚えたりすることに四苦八苦しており、とてもじゃなかったけど、会社全般の戦略や方針を理解するどころはなかったです。
その風向きが変わってきたのは、社内横断のプロジェクトや部長以上出席する会議のオーナーを務めるようになり、会議用の資料や議事録を作成するようになってから。
資料や議事録を作成するためには、当然のことながら、そこに記載する内容の全てを理解する必要があり、そのためには発表者や発言者に確認を行う必要があります。
そのため、各部門の部長クラスとコミュニケーションを重ねるようになると、現在の会社における課題や取組が明らかになるとともに、各部門間で対立している事案も見えるようになってきました。
実は、プロフェッショナル集団が陥りがちな罠というのは、専門性=独立性と勘違いし、全社的な戦略や方針を軽視し、自部門の効率性や利益最大化に走りがち、ということ。
したがって、各部門の部分最適化(=セクショナリズム)が進んでいくと、各部門間の摩擦が発生するし、その摩擦を放置すると、社内資源の最適化は図れないし、かえって、各部門の非効率性が高まる、という問題が生じます。
それによって、社内の人間関係も殺伐としたものとなり、一層のセクショナリズムが進展するという悪循環に陥ります。
そんな負のスパイラルを防ぐために登場したのが私で、各部門の部長から見て、私は素人であるが故に、特定の部門の考えや意見を代表してないので、自らの主張を述べやすい相手ということになります。
他方で、各部門の部長と満遍なくコミュニケーションを取っているので、全体を俯瞰しながら、それぞれの議論や論争の位置づけを理解することができます。
それに加えて、私の強みは、「自治体からの支援金」という名目で獲得した広報宣伝及び販売促進に関する大規模な予算を有しており、それらの配分によって影響を及ぼせること。
ただし、気を付けていたのは、それらの予算配分を水面下で調整するのではなく、各部門の部長が出席する会議で、①地域のニーズ、②提供可能な解決策案、③地域との交渉役としての私自身の考え、を説明の上、開かれた議論を展開すること。
12月1日付けのマネージャーからシニアマネージャーからの昇格に当たり、その評価理由が、予算配分と議論の透明化による社内連携体制の構築ということにあるらしく、各部門の部長の面々からも「評判が良い」というフィードバックをいただきました。
これって、要するに「調整力」ということで、各部門の専門性を押さえた上での「落とし所」の探り合いをしているに過ぎないのですが、こういうスキルがあって部門間調整の役割を担える人材が欠けていた、というのが組織の大きな課題だったようです。
その証左として、私が所属している事業戦略室はもとより、経営企画室や広報室などの他部門の業務に深く関わるようになり、会社としての重大な意思決定を行う前の会議には必ず招聘されるようになりました。
私自身は「調整」というのは付加価値を生み出さない行為・行動であると考えており、それ以外の専門性を磨きたいという思いで、転職、入社したはずなのですが、入社から1年経過して、相応の知識や経験は得ることができたものの、「専門性」というには程遠いという現状です。
ただ、プロジェクトマネジメントを学ぶ過程では、プロジェクトを成功に導くためにはステークホルダーをはじめとした調整力の重要性も再認識したし、専門性という観点からは会社への貢献が不十分なのであれば、調整力という力を発揮できる分野で、業績に貢献すべきだと思いますので、まずは勝負できる部分で勝負をしっかりしていきたいと思います。