コロナ禍による緊急事態宣言等の影響を受けて、再三にわたる延期を重ねてきた映画『機動戦士ガンダム:閃光のハサウェイ』がようやく上映されることとなりました。
待ちに待った上映ということで、万難を排して上映初日に、無事に観ることができました。
ガンダム40周年プロジェクトの目玉ともいうべき本作品について、視聴の感想と今後の展開(期待)について書いてみました。
特装限定版Bru-Rayの購入に成功
今回は、上演初日、かつ、なるべく早い時間帯に鑑賞しなければならないというプレッシャーを強く感じていました。
もちろん、長年、楽しみにしていた作品ということもあるのですが、それ以上に、劇場限定版のBru-Rayが販売されており、映画のチケット半券を持っていないと購入できないという条件もあったからです。
仕事のスケジュールを調整に調整を重ねて、初日2回目の上演(10:35-12:25)を鑑賞するとともに、特装限定版Bru-RayもGET!!!
上演開始前に必須ミッションを見事クリアーできて、心置きなく映画鑑賞に集中することができました。
OP曲:「Möbius」
テロリズムによる反地球連邦政府運動を繰り広げるマフティーによって、地球連邦政府高官が乗るスペースシップ「ハウンゼン」が急襲されるというオープニングから始まる本作品は、同急襲作戦が偶然ハウンゼンに乗り合わせた二人の男(ハサウェイ・ノアとケネス・クレッグ)の手により鎮圧されたところでオープニング曲が流れます。
本作品のBGMを担当するのは、これまで『ガンダムUC』や『ガンダムNT』でも担当し、今や宇宙世紀の世界観を音楽で表現できるのは、この人を置いて存在しないと言わしめる澤野弘之。
『閃光のハサウェイ』のオープニングを飾るこの曲も、彼が描く世界観を余すなく表現しています。
このOP曲のタイトルは、初見では理解できなかったのですが、Google検索によりドイツ語で「メビウス」を意味していることを知りました。
ここで、ガンダムファンならば、「メビウス」という言葉で思い付くものがあると思います。
そうです。1988年に劇場公開された『逆襲のシャア』のED曲で使用されたTM NETWORKの『BEYOND THE TIME』です。
こちらの曲は副題が「メビウスの宇宙(そら)を越えて」ということで、『逆襲のシャア』におけるハサウェイの体験が、その後の彼の行動や思想に影響を及ぼしており、『閃光のハサウェイ』には常に重苦しい雰囲気がついて回り、破滅的な結末につながる予感を感じさせます。
抜け出せなかった「メビウスの輪」
「Möbius」はオープニングを飾る曲だけあって、そこには本作品のテーマないし基調ともいうべき内容が歌詞に織り込まれています。
コーラスで何度か繰り返される以下の歌詞から読み取れるのは、ハサウェイの未だ消えぬ後悔と、贖罪意識からやってくる行動への衝動です。
この曲全体から伝わってくるのは、ハサウェイが強迫性障害に陥ってしまっているのではないかと思えるほど、現状の変革を希求している姿です。
They stole my joy forever
Now it’s gone, my hate will keep me warm
Can never forgive!(私の喜びは永遠に奪われた。今は何もなく、憎しみだけが自身を温める。決して赦さない。)
And the way to get it done, get it done
So that I don’t have to feel sorry(罪悪感を抱かなくても良いように、成し遂げ、終わらせる道を・・・)
本作に続く前日譚である『逆襲のシャア』で描かれたのは、地球に落下しつつあった小惑星アクシズの落下を食い止めた「奇跡の光」ともいうべきもので、アクシズの巨大質量を動かすほどの物理エネルギーを発生させたサイコフレームの光でした。
この光は、地球圏の全人類の無意識を集積し、物理エネルギーに転化したものとされていますが、ここでは地球圏の人類がこれ以上の地球環境の変化を引き起こすダメージを明確に拒絶し、地球の危機を乗り越える人類の叡智に対する希望(可能性)も同時に示したことになります。
ところが、その時から10年近く時間が流れて、人類の地球に対する贖罪、地球環境の改善は進むどころか、かえって悪化しており、地球連邦政府高官をはじめとした一部の特権階級による汚職や環境汚染など、かつて人間の善意と見えた光は幻であったかのように消えつつありました。
かつて見た(見せた)人類の希望を再現するため、地球圏に住む特権階級の排除=粛清という手段で、強引に目的を達成しようとするハサウェイですが、それはアクシズの地球落下により人類を粛清しようとしたシャアの姿と重なります。
『逆襲のシャア』において、「地球の人って頑固で変わんないくせに、自分の奥さんや旦那さんだけは替えるでしょ。だからシャアはいろいろやって見せてさ、人の可能性見せようとしてんのよ」と、シャアの隕石落としを容認するクェスに対して、ハサウェイは「そんなことで地球を寒冷化してもいいの?」と疑問を投げ掛け、シャアの思想・行動を否定します。
しかし、マフティーを名乗ることになったハサウェイは、「時は移り、所は変われど、人の営みに変わるところなし」という言葉どおり、シャアの軌跡をなぞるかのような選択を行います。
脱却したはずのメビウスの輪から、結局のところ、抜け出せておらず、かつての自分が否定したシャアの思想・行動を、自らが引き継ぐことになり、再びメビウスの輪の循環に陥ってしまったというハサウェイの本作品における立ち位置を象徴した曲となっています。